猫を起こさないように
日: <span>2006年1月9日</span>
日: 2006年1月9日

甲虫の牢獄(1)

 「いや、サングラスを申し訳ない。よく目が強すぎると言われるものでして……人前では外さないことにしています。そもそもゲームに対する批評なんてのは、全くのナンセンスですね。だいたい、世の中の大半のものは批評に値しません。もちろん、政治だけは別ですよ。日々の生活と不可分であるという一点において、改善のための政治への意識的な言及は避けられません。より広義に考えるなら、世界に対する我々の取り組みはあらゆる場合において他人との折衝を含むので、政治的と言えますから。つまり、生活と不可分なものだけが、批評に値するんです。そうでないものは、批評なんていう言葉を尽くす前に、ただその場でただちにやめればいい。やめても死にませんからね。やめられます。考えれば、この”やめる”という選択肢を持たないものは、世の中にそれほど多くありませんよ。さっき言った政治と、なんだろうな、愛? いやいや、冗談です。文学も、音楽も、芸術も、すべて疑いなくやめることができます。やめても生活が続くものを批評するのは、意味がない。ゲームなんて、文学や音楽や芸術のうちの末席の、更に後ろのムシロ桟敷でしょう――いや、いや、それに従事している人間が実感でしゃべっているのだから、余計なご批評はごめんこうむりますよ!――つまり、私たちはそこを意識しなければならないのです。私たちの熱情が”やめる”という選択肢を常に含んでいる、ということをです。紙や電子によらず、様々の媒体からの言及や論評の物量が勘違いさせ、見えにくくさせているけれどもゲームというのは、本質的に人間の営為にとって不可分・不可欠足り得ないということです。――ただ」
 「ただ?」
 「その絶望から始めるならば、どこかに届く可能性はあるかもしれない。どこかとは、人のするすべての営為が人を対象にしている以上、その心に他なりません。人間の心には”核”があります。言い換えれば、その個人の生にとっての中心的な命題です。カネとか、名声とか、セックスとか、そういったものです。その至上命題を取り巻くように、すべての後天的、つまり経験による情報が蓄積されてゆきます。先ほど尋ねられましたが、簡単に説明すると私の創作手法とは個々人の持つ”核”に直接干渉することなのです。人間は、その命題を判断基準としてしか、世界を理解できませんから。例えば、電車の中で口論を始める二人の男女がいたとしましょう。それを見て、どういう説明を加えるかは全くあなたの持っている命題次第なのです。同じ車両に乗り合わせた人間の数だけの解釈が存在しうる。状況は常にあなたの外にあるわけですから、人生とは、あるいは物語とは、外的状況を自分自身や他人に対して『どう説明するか?』ということでしかありません。説明の段階であなたの持つ”核”による情報の取捨選択、置換が行われ、あなたの現実が完成するというわけです。私は一般の方よりは多少その操作に意識的で、こう表現することを許していただけるならば、長けているのです。最も感動的な物語を作ることのできる人間は、最も人間を残虐に踏みにじることのできる人間である、ということはあなた方の自衛のためにも覚えておいたほうがよろしいでしょう。……心の”核”の話をしました。個人の”核”を肯定する情報を与えればそれは安心となり、”核”をゆさぶる情報を与えればそれは不安となる。”核”の位置を変えればそれは啓蒙か洗脳となり、”核”を破壊すればそれは憎悪か発狂となる」
 「抽象的ですね。それに人間を、ひどく単純化しているように聞こえます」
 「百人が百人理解できるよう、お話しておりますので。具体的にどう行うかという方法になりますと、これはもう、誤解を恐れずに言うならば才能のお話でして、私と同質の才能を持つ人間にしか、本当の意味で分かち合うことはできないでしょう。ですから、単純化のそしりをあえて受けて、抽象的に続けることにします。具体的なその形については、ぜひ私どもの製品をご購入いただきたい。……私はね、宵待さん、最近全く新しい手法を発見したんですよ」
 「それはいったい、どのような?」
 「個人の中にある”核”を、全く別の”核”とそっくり入れ替えてしまうやり方です。それが個人の精神に及ぼす影響を言葉に表しますと、そう……革命、でしょうか」
 「少し話が飛躍しすぎているようで、私にはちょっと理解しにくいのですが」
 「難しいことは何も言っていませんよ。そして、これまでのお話と全く乖離したものでもありません。あなたは恐れているんですよ、自分の中にある革命を。それは確かにあなたの中にあるんですよ。革命とは、個人の心にしか起こりえないことなのですから。おびえることは何もない。単純なんです。毎朝右足から靴ひもを結ぶことを決めている男が、ある日ふと左足から靴ひもを結んでみようと思う。これさえも、革命と呼ぶことができます。革命とは、個人内に完結する明文化されない通念の再構築のことです。それはあまりにも簡単すぎて、もしかしたら道徳や倫理のようにひびくかもしれません。……実際、言葉にするのは、私は得意ではありませんもので。言葉はときに、状況を単純化しすぎますからね。つまり、私が言いたいのはこういうことです、宵待さん」
 「……」
 「『あなたは変わることができるかもしれない』」
  「……の宵待薫子さん、本名・山本啓子さんが今月二十五日未明、自宅のマンションで死亡しているのを発見された事件で警察は今日、死因を自殺と断定しました……」
 ラジオのニュースが、低いトーンで流れている。
 コンビニエンス・ストアは、とても記号的だ。店内のすべてのものが、極限まで意味を希釈されてそこに存在する。陰鬱なはずのニュースさえも、コンビニエンス・ストアという舞台を伴うと、妙に白々しく、薄っぺらにひびく。
 雑誌から顔を上げて、レジの方をうかがう。正確には、その後ろの壁にすえつけられた時計を。
 午前一時四十分過ぎ。
 カウンターに肘をついて、口を半開きにぼんやりとしている店員の姿が一瞬視界に入る。ぼくはあわてて視線を雑誌へと戻した。接客マニュアルに沿っていないときの店員は、その表情や仕草に記号性を逸脱したものを発散しすぎている。店員の浮かべていた表情の裏にある様々なものへの想像が、せき止めきれないダムの水のようにぼくを圧殺しないうちに、ぼくは再び週刊誌の記事の記号性に没入しようと試みる。
 ゴシップ記事の持つ、毎週固有名詞を取り替えただけのような同一さに、ぼくは記号に守られた安らぎを覚える。一通りその週刊誌に目を通し終えると、ラックからまた別の週刊誌を取り出す。書いてある内容は何も変わらない。だが、同一であることを確認するために、ぼくは別の週刊誌を取り上げる。
 さっき時計を見たのが午前一時四十分だったから、いまは午前二時くらいだろうか。夜明けまであと三時間と少しだ。あと三時間、この作業を続ければいい。
 日付が変わってから寝床を這いだして、両親が食卓に置いた五百円硬貨を手に、歩いて近所のコンビニエンス・ストアへ向かう。そこで夜明けまでの時間をつぶし、朝食用のパンと牛乳を買って帰宅する。そして自室で日付が変わるまで眠り、またコンビニエンス・ストアへ向かう。
 その反復が、ぼくの持つパターンだった。
 もうどのくらい太陽を見ていないのか、もうどのくらいこの生活を続けているのか、自分でも判然としない。なぜ、こうなってしまったのかもわからない。何か巨大な力が、ぼくをここへすえつけているのではないかと思うことがある。だが、そんな言葉はぼく以外の誰への説明にもならないだろう。
 この生活で二番目に苦痛なのは店を出るとき、パンと牛乳を購入するのに店員の前へ立たなくてはならないことだ。
 一番目に苦痛なのは、卓上にいつも置かれている五百円硬貨を取り上げるのに逡巡する瞬間だ。その一瞬間をぼくは永遠に迷い、そしていつも敗北する。
 店のドアが開いた。
 ぼくは習い性のようになった脅えで、雑誌ごしにそちらへちらりと視線をやる。
 いつものあの男だ。有名量販店のジャージに木のサンダルをつっかけて、髪はオールバック、そしておかしなことにサングラスを、老眼ででもあるかのようにいつも鼻眼鏡にしている。
 ぼくは内心、ほっとする。いつもの時間にいつもの人間がやってくるのは、とても記号的で安定したパターンだ。このあと男はぼくときっかり二人分の間を空けて立ち、漫画雑誌をいくつか立ち読みして、いつもと同じ銘柄の缶コーヒーを一本買って、そう、三十分ほどで出ていくだろう。ぼくは、芸能人の不倫のスキャンダル記事に目を落とし、再び没頭しようとした。だが――
 男が、ぼくの横に一人分の間を空けて立った。
 ぼくは身体をこわばらせる。腹の底に重たいような緊張が生まれ、サッと全身に汗が吹く。
 それは、意味のある距離だ。ぼくはなるべく不自然にならないように週刊誌をラックに戻すと、別の雑誌を選んでいるふりで、男との間に二人分の距離を作ろうとする。
 男は雑誌から――それはオートバイ雑誌だった――目を上げないまま、唐突に言った。
 「ここ数ヶ月の観察からの判断でしかないんだが」
 その言葉は、明らかにぼくへ向けられていた。店内に他に人影は無く、男の位置はレジの店員からも離れすぎているからだ。
 ぼくに向けられた、しかしマニュアルではない言葉を聞くのは、いったい何ヶ月ぶりなのだろう。いや、もしかすると何年ぶり、なのかもしれない。
 ぼくは麻痺したように、その場から動けなくなった。
 「君の生活は、記号とパターン反復の脅迫に支配されているようだ。だが、同時に救済を求めてもいる」
 もう半歩、男から離れることができれば、男の声は聞こえなくなったろう。それほどにかすかな、ほとんどつぶやきのような声だったのだ。けれど、ぼくは完全に呪縛されていた。その言葉にぼくのパターンは破壊され、その言葉に抗するのには、ぼくの中は記号で満たされすぎていた。
 「言葉が致命的じゃないことにおびえているんだろう。自分も、他人も、すべての言葉が」
 待ってくれ、ぼくは心で叫ぶ。言葉なんて、全部記号じゃないのか。ぼくの人生に発する言葉は、すべて記号で足りた。実際、友人も、教師も、両親も、誰もぼくに記号以外の言葉をしゃべらなかった。
 『オレタチ、トモダチジャナイカ』『オマエノコト、シンパイシテルンダゾ』『ホントウハ、デキルコナンデス、ホントウハ』
 思い返す陳腐さに、みぞおちが氷のように冷える。だとすれば、記号にも憎悪をかきたてる力はあったのか。
 それらの言葉は――そう、まるで週刊誌のゴシップ記事のようだ。
 「君はつまり、もっともあり得ない場所に補償を求めていたんだ」
 ぼくはぎこちなく振り返って、男の方を見た。
 男が雑誌から顔を上げて、こちらを見る。
 「君は、革命を信じるか」
 革命は、ない。
 問いの唐突さにうろたえるよりも先に、答えが浮かんだ。遠い海を隔てた外国で、巨大なビルが倒壊しようとも、ぼくの生は革命しなかった。世界の中で物事の位置は、もはやどうしようもないほどにそれぞれの場所へ定まりすぎてしまっている。卓上におかれたペン立てのように、ぼくには物事の定められたその固有の位置が見える。たとえ、偶発的なパターンの乱れによって床へ転がり落ちたとしても、ペン立てはすぐにまた卓上の固有の位置へと戻されるのだ。
 ぼく自身の手によって。
 夜の窓の外を軍靴が通り過ぎてゆくような革命は、もはやこの世界にはあり得ない。
 「君はテロルはあり得ても、革命はあり得ないと考えているんだろう」
 その通りだ。ぼくの定まらなささえ、あらかじめ定められてしまっている。卓上のペン立てが固有の位置を失うためには、ペン立てそのものを破壊するしかない。
 ぼくは発する言葉を知らず、凝と黙り込む。
 男は少し困ったようにアゴをさすった。
 「言葉にするのは、得手じゃないな。多くの場合、言葉は状況を単純化しすぎるね。しかし、ただひとつだけ言えるのは……」
 男はサングラスを外して、ぼくの目をのぞきこんだ。
 それは思い返すに、ぞっとするような一瞬だった。
 「『君は変わることができるかもしれない』」
 ぞっとするような、甘美な。
 男はぼくへと一歩を踏み出し、最後の距離を詰めた。
 そして、ぼくの手に何かを握らせながら、重大な秘密を告白するように、耳元へささやく。
 「俺といっしょに、世界を革命しないか」
 ぼくは呆然と立ちつくしていたらしい。店内へ差し込む朝陽のまぶしさに、我に返る。
 時計を見ると、七時を回っていた。
 気がついて、手に握っているものに目をやる。汗でよれよれになっていたが、それは確かに名刺だった。メールアドレスと名前だけが書かれた、簡素な名刺。
 そこには、こう書かれていた。
 高天原勃津矢、と。